西本願寺と東本願寺の違いとは?わかりやすくご紹介!

京都の観光名所として有名な西本願寺東本願寺

私も実際に訪れ、参拝の様子を記事にしましたが、この西本願寺と東本願寺、もともとは本願寺という一つの寺院だったのをご存知でしょうか?
親鸞(しんらん)聖人を宗祖とし、親鸞聖人の※廟堂(びょうどう)から発展したのが本願寺ですが、ある事情により分裂する事になります。

廟堂(びょうどう)とは?
先人の霊を祭る所。おたまや。みたまや。廟所とも。

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もとは一つの寺院だったため、東西どちらも浄土真宗で宗教的に大きな違いはありませんが、細かい部分では異なる事もあります。

そこで今回は、西本願寺と東本願寺の違いについてご紹介したいと思います♪

宗派の違いは?

西本願寺も東本願寺も浄土真宗という宗派ですが、正式な宗派名は、西本願寺は浄土真宗本願寺派、東本願寺は真宗大谷派といいます。

本願寺派は京都の西本願寺が本山で「お西」と、大谷派は京都の東本願寺が本山で「お東」とも呼ばれています。

西本願寺と東本願寺の違いはというと、まず、微妙にご本尊の形が違います
本願寺派(西)の阿弥陀如来立像は、後光の下に船後光という部分がありますが、大谷派(東)には船後光はありません。

また、ご本尊を掛け軸にした場合、後光の本数が違います
本願寺派の阿弥陀如来は8本、大谷派の阿弥陀如来は6本なんですよ^^

仏壇や仏具の違いは?

仏壇や仏具にも東西で違いが見られます。

まず、仏壇の柱が金箔で加工してあるのが本願寺派(西)柱が黒塗りになっているのが大谷派(東)です。
花立、香炉、蝋燭立などの仏具は、本願寺派は黒っぽい色合いの物を使用しますが、大谷派では金色の物を使用します。

仏壇と仏具では、色が逆なんですね~^^

こちらは、西本願寺の阿弥陀堂にあるお仏壇です。

29_3阿弥陀堂のお仏壇アップ

写真では、ちょっと分かりにくいですかね、、、(;´∀`)

また、銅に漆塗りの宣徳製(せんとくせい)の燭台であれば本願寺派、亀の背中に乗った鶴が口に蓮軸をくわえている鶴亀燭台であれば大谷派という事になります。

お経の読み方やお焼香の回数も違う!

お経については、読み方は同じですが音程が違うようで、お経を唱える時の「南無阿弥陀仏」も、本願寺派(西)は「なもあみだぶつ」と発音するのに対し、大谷派は(東)「なむあみだぶつ」と発音します。

お経の読み方の違い
  • 本願寺派(西)
    なもあみだぶつ
  • 大谷派は(東)
    なむあみだぶつ

23_0御影堂内部2

お焼香の本数や回数、数珠の持ち方も、宗派によって違いがあるようです。
本願寺派と大谷派では、お焼香の本数はどちらも1本で同じですが、回数は本願寺派が1回大谷派が2回です。

数珠の持ち方については、男性は同じですが、女性は違います
本願寺派は、数珠を二重に巻き、合掌した両手に輪をかけ、房を小指の下に垂らします。一方の大谷派は数珠を二重に巻き、房を上にして合掌した両手に掛け、左手の側に房を垂らします。

確かに大きな違いはありませんが、こうして比べてみると、細かくても様々な違いがあるのが分かりますね^^

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本願寺はなぜ分かれたの?東西分裂の歴史

本願寺が東と西に分裂した原因は、石山合戦まで遡ります。
1570年から1580年までの10年間、織田信長(おだ のぶなが)と石山本願寺が敵対したのが石山合戦です。全国各地の本願寺門徒が起こす一向一揆に、信長は大変苦しめられました。

10年も費やしたこの戦のために、信長は天下統一のチャンスを失ったとも言われているんですよ(;´∀`)

信長は、最後には天皇を仲裁にたて和議を求めた(実質は、信長の勝利)のですが、この時、和議に応じるか抗戦するかで本願寺内の意見が分かれたのです。

第11世宗主の顕如(けんにょ)と次男の准如(じゅんにょ)は和議を受け入れようとしたのですが、長男の教如(きょうにょ)は抗戦の主張をし、両者は対立。
ついには親子の関係を断つ事になり、顕如は和歌山の鷺森に移ります。

その後豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)の治世になり、1591年、顕如は秀吉から七条堀川に土地の寄進を受け、御影堂と阿弥陀堂を建設。これが現在の西本願寺です。

一方、教如は本能寺の変で信長が亡くなると義絶を解かれ、本願寺を継承します。しかし、石山合戦で自分に賛同した者を重要視したため、本願寺内部に対立が起こります。
そして、秀吉の後押しもあり、弟の准如が正式に本願寺の12代宗主を継承することになったのです。

それでも本願寺内で力を持っていた教如は、徳川家康(とくがわ いえやす)に接近し、1602年、七条烏丸に寺地の寄進を受けます。
これが真宗大谷派の始まりで、ここから、教如の東本願寺と准如の西本願寺が分裂することになったのです。

MEMO
これは家康の策略でもありました。本願寺の一向一揆に苦しめられた信長を見てきて、本願寺自体を分裂させることで、両者の対立を密かに画策したのです。2つに分かれた組織は、たいてい争うことが多いからです。さすがは歴戦をくぐり抜けた武将ですね( ̄▽ ̄)

そして、本願寺の立地関係から、西本願寺・東本願寺と呼ばれるようになったそうです^^

境内散策の違いは?

西本願寺と東本願寺、どちらも阿弥陀堂門(あみだどうもん)御影堂門(ごえいどうもん)が並んでいますが、阿弥陀堂門は西本願寺の方が、御影堂門は東本願寺の方が立派でした(*´▽`*)

こちらが西本願寺の御影堂門、

7御影堂門(内部から)

そして、こちらが東本願寺の御影堂門です。

7御影堂門を内部から

西本願寺の御影堂門も立派ではありますが、やっぱり東本願寺の方が重厚感がありかなり立派ですね~( *´艸`)

また、東本願寺は、御影堂と阿弥陀堂以外は非公開になっているので、拝観できる場所が限られています。
一方の西本願寺は、御影堂や阿弥陀堂はもちろん、国宝唐門書院飛雲閣(特別公開時のみ)なども拝観できます。

それぞれに魅力があるのでどちらも訪れてほしい寺院ではありますが、見どころの数で言えば、西本願寺の方が多いかもしれませんね^^

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編集後記

西本願寺と東本願寺の違いについてご紹介しましたが、いかがでしたか?

もともとは一つの宗派だったのに、親子の対立によって分裂してしまった本願寺。
そんな歴史や、それぞれの違いを知ってから訪れると、さらに興味深く拝観できるのではないでしょうか(´▽`)

散策した時の様子はこちら!

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これから西本願寺や東本願寺へ足を運ぶ方は、ぜひこちらでご紹介した事を思い出しながら、参拝してみて下さいね♪

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