大徳寺(だいとくじ)は、広大な敷地に数多くの塔頭をもつ寺院です。
いくつもの塔頭を拝観できるとあって、以前から興味があったのですが、今回ようやく足を運ぶことが出来ました^^
大徳寺は非公開の塔頭が多いのですが、見どころも多く、一度では魅力を書ききれないほどです(;´∀`)
そこで、大徳寺の主な塔頭を、いくつかの記事に分けてご紹介していきたいと思います。
ここでは、大徳寺・龍源院(りょうげんいん)の枯山水の石庭と御朱印、拝観料についてご紹介しますね♪
大徳寺の特別公開の総見院・興臨院・黄梅院はこちら♪
大徳寺の特別公開で総見院・興臨院・黄梅院を参拝♪御朱印も!
キリシタン大名由来の瑞峯院の見どころはこちら!
大徳寺の瑞峯院の見どころは?枯山水の庭!御朱印も♪
龍源院で御朱印はもらえるの?
大徳寺の南門をくぐって行くと、左手に龍源院の表門が見えてきます。
こちらの表門と本堂(方丈)は、重要文化財に指定されています。
では、中に入ってみましょう^^
緑に囲まれた龍源院の前庭が広がっています。
右側に見える塀の向こうには、滹沱底(こだてい)があります。
滹沱底については、また後ほどご紹介しますね。
こちらが庫裡で、拝観受付になっています。
龍源院の御朱印は、こちらの拝観受付で頂くことが出来ます。
あらかじめ小さな半紙に書き溜めているタイプで、この場では日付のみ記入して頂きました。
最初にお願いをして、拝観中に記入して頂きましょう(*´▽`*)
庫裡の天井を見上げてみると、、、
梁が見えるようになっていて、天井がとっても高いですね~。
書院横の廊下です。
こちらを進んで行く前に、見どころである庭園の一つを見てみましょう♪
阿吽の石庭:聚楽第の遺構が!
書院の軒先には、滹沱底(別名・阿吽の石庭)があります。
さきほど、前庭の塀の向こうにあるとご紹介したのが、こちらです。
臨済(りんざい)禅師が住庵したお寺の南に流れていた、中国の滹沱河(こだが)という河の名前から名付けられたと言われています。
切り離すことが出来ない宇宙の真理を表現していて、阿吽の石と呼ばれる2つの石は、聚楽第(じゅらくてい)の遺構なんだそうですよ^^
内部には、日本最古の種子島銃が展示されていました。
とっても貴重ですよね。
そしてこちら、豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)と徳川家康(とくがわ いえやす)が伏見城で対局した時の、四季草木蒔絵の碁盤だと伝えられています。
歴史を感じる碁盤ですね~。
これであの秀吉と家康が対局していたなんて、、、なんとも不思議な感覚です。
こちらの写真の左側に見える四角いものは、担雪井です。
創建当初からある古い井戸のようです。
それでは、次の庭園へ行ってみましょう♪
一枝担:方丈の前庭!
廊下をまっすぐ進んで行くと、左側に方丈の前庭、一枝担(いっしだん)がありました(´▽`)
東渓(とうけい)禅師が師である実伝和尚より賜った、霊山一枝之軒(りょうぜんいっしのけん)という室号から名付けられたそうです。
かつて、この一枝担には、樹齢700年以上の山茶花「楊貴妃」という老木がありました。
「楊貴妃」は毎年11月中旬から4月頃まで真紅の花を咲かせていたのですが、1980年に枯れてしまったそうです。
一面に咲く真紅の花、ぜひ見てみたかったですね。本当に残念です( ノД`)
白砂は、大海原をあらわしているそうですよ。
中央の苔に覆われている丸いものは、亀島です。
こちらが鶴島です。
そして、こちらの石は蓬莱山をあらわしています。
蓬莱山は、仙人が住む不老長寿の吉祥の島のことなんだそうです。
庭園もさまざまな意味を知ってから見ると、また違った見方ができて面白いですね(*´▽`*)
竜吟庭:室町時代の枯山水庭園!
方丈の軒下には、龍源院と書かれた額が飾ってありました。
文字を左から読むあたり、時代を感じますね、、、
方丈室中には、本尊の釈迦如来坐像が安置されています。
こちらは鎌倉時代の行心の作で、京都八釈迦の一つになっています。
襖絵には「竜と波」がぐるっと全面に描かれていました。
作者は不明のようですが、桃山~江戸時代の作だと言われています。
こちらは、室中のお隣、檀那の間の襖絵(作者・年代不明)です。
檀那の間からさらに奥に進むと、外に開祖堂が見えます。
一重入母屋造り・檜皮葺きの建物で、南北朝・鎌倉・室町初期時代の様式の粋を取り入れた昭和の唐様木造建築の代表作なんだそうです。
方丈の廊下を進んで行くと、、、
竜吟庭(りょうぎんてい)が見えてきます。
室町時代の枯山水庭園で、相阿弥の作と言われています。
青々と広がる杉苔は大海原を、石組は陸地をあらわしています。
中央の高く突き出た岩が須弥山で、真実の自己本来の姿、超絶対的な人格などを表現し、須弥山石の前にある遙拝石は、理想や目的に一歩でも近づこうという信心の現れなんだそうですよ。
さきほどご紹介した庭園もそうですが、そこまで考えて造られているなんて、奥が深いですよね。だから寺院の庭園って見応えがあって、好きだったりします(´▽`)
東滴壺:日本最小の庭園!
最後の庭園へ行く前に、もう少し内部をご紹介しますね(´▽`)
こちらは、衣鉢(えはち)の間です。
「衣」は出家僧の衣、「鉢」は食事を表していて、僧侶が日常生活を送る部屋のようです。
衣鉢の間の隣にある、わずか2畳のこちらの空間は、眠蔵です。
禅僧は、夜この場所で眠ったり、静かに座禅をしたそうですよ。
座禅はともかく、この狭い空間で眠っていたなんて、、、禅僧たちはちゃんと眠れていたのかと、ついつい気になってしまいました(;´∀`)
その奥、眠蔵の隣には、書院の間があります。いわゆる応接間です。
部屋の左右にあるのは、鈴木松年作の「白蔵主と月にむら雲」の屏風です。
大阪の少林寺に伝わる白蔵主を描いたもので、白蔵主を助けた古狐の逸話を元にしたものなんです。
竜吟庭の向こうには、大徳寺の三門が見えましたよ^^
廊下をさらに進むと、方丈と庫裡の間につくられた壺庭、東滴壺(とうてきこ)があります。
石のまわりの白砂が、波紋が広がるように造られています。
これは、一滴の波紋が集まって、大海原へ広がっていく。ようするに、悟りにつながっていく…という事をあらわしているそうです。
東滴壺は、鍋島岳生(なべしま がくしょう)作庭の、格調高い、日本最小の石庭なんですよ。
1960年に造られたもので、現代壺庭の傑作と言われています。
これでぐるっと一周し、受付の方に戻って来ました^^
大徳寺・龍源院の歴史と豆知識
龍源院は、1502年、畠山義元(はたけやま よしもと)、大友義長(おおとも よしなが)、大内義興(おおうち よしおき)らによって創建されました。
応仁の乱のあと、大徳寺門徒はいくつもの派に分かれ、大徳寺南派の本庵となり、明治の初め、神仏分離により大阪の慈恩寺と大徳寺内にあった金竜院を合併して、現在に至ります。
大徳寺の塔頭は非公開のところが多いのですが、龍源院は一般公開されていて、大徳寺の中でも一番古い塔頭です。
大徳寺・龍源院の拝観料は?
- 住所:〒603-8231 京都市北区紫野大徳寺町82
- TEL:075-491-7635
- 拝観時間:9:00~16:30
- 拝観料:一般 350円、高校生 250円、小中学生 200円
- 交通:京都市バス「大徳寺前」下車徒歩すぐ
編集後記
いかがでしたでしょうか?
大徳寺・龍源院の枯山水の石庭と御朱印、拝観料についてご紹介しました♪
龍源院は、決して豪華な印象はありませんでしたが、数種類の庭園や襖絵など、なかなか見応えがありました( *´艸`)
個人的には、家康と秀吉が対局した碁盤なども興味深かったですね。
大徳寺に訪れる際には、ぜひ龍源院にも立ち寄ってみて下さいね^^
コメントを残す